びしょぬれ
こんばんは
彼女と別れた辛さが時間と共に大きくなってきてる今日この頃です。
一昨日は午前中論文輪読会に参加した後、畑でバイトをしました。
その後は…動けませんでした
昨日は博士後期編入先の先生のところへご挨拶へ行きました。
私はいま、地方の私立大学にいます。高校時代はたいした勉強もせず、入れる大学にギリギリで入り、大学でも留年しかけた後、全部の志望研究室に落ちて今の研究室へ入りました。
当時は一番入りたくない研究室に入ったわけです。
もうどうにでもしてくれと言う気持ちで教授と話をし、先輩に連れられるがまま様々なフィールドに連れて行かれ、なんとなく自分が必要とされているような気持ちが芽生えてきました。
そんな中で生まれて初めて勉強らしい勉強をし、学ぶことの楽しさを知りました。
有難いことに当時の卒論発表で小さな賞をいただき、この分野でもっと勉強したい、社会の役に立ちたいという気持ちが強まりました。
また後にお話しますが、一度就職し、また大学院へ戻ってきました。そして今、博士課程を目指しています。
卒論まではなんとかなっていたのです。
何を言いたいかというと、私は基礎をすっ飛ばしたまま、応用研究の端っこで小さく芽をだしていたのです。
水と光があれば芽は出ます。芽を育てるためには土が必要です。花を咲かせ、実をつけるためには更に膨大な養分が要ります。
土を肥やすことをサボり、うっかり芽を出してしまった私は今、根を張る先がなく困り果ててしまっています。
編入希望先の先生と話をした際、それを突きつけられたような気がしました。今君がしている研究の意義が理解できない、基礎学習もできておらず、今の研究計画のままだと博士は正直厳しい、とお話しいただきました。とても有難いご指摘と不安と悔しい気持ちが入り混じって変な感覚です。
そんなこんなで動けなくなってしまった数日でした。
私はどこを目指すのか、何者になるのか、どこを目指したいのか、何者になりたいのか、自問自答し続ける拷問に遭っている気分です。
そしてこんな時にいつでも話を聞いてくれて一番理解してくれるパートナーがいないというのが一番辛いのかもしれません。
研究者を目指す者の現実をヒシヒシと感じた日々でした。
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また明日